飛騨酪農農業協同組合 組合のご案内

組合のご案内

組合長挨拶

組合長

 当組合は、岐阜県北部地域の高山市・下呂市の酪農家で組織運営されている酪農専門農協です。

 この飛騨地方の豊かな自然環境・気候風土の下、酪農家が真心と愛情を込めて乳牛を飼育し、搾った飛騨産100%の生乳を「安心・安全・おいしい」をテーマに、「搾りたてを食卓に」の思いで製造・販売しております。

 平成21年4月には新工場を竣工・稼動し、平成23年2月にはHACCP認証を取得、今後も牛乳を通じてのお客様との繋がりを大切に、より一層よい製品づくりに努めて参ります。

組合概要

名称
飛騨酪農農業協同組合 
住所
〒506-0035 岐阜県高山市新宮町3369番地
創業
昭和4年5月
設立
昭和24年4月
出資金
14,832万円
役員構成
理事7名 監事3名 計10名
組合員数
72名 (生産農家数 24戸)
職員数
89名
管理地区
高山市、下呂市、飛騨市、白川村
製造品目
牛乳、加工乳、乳飲料、発酵乳、乳製品、アイスクリーム
拠点情報
各拠点については「お問い合わせ」をご確認ください

機構



機構


基本理念



基本理念


飛騨牛乳の歴史

酪農の歴史

柵の中に12頭の成牛と6頭の子牛。その外には人力車や郵便夫が描かれている珍しい絵が、1888(明治21)年9月25日発行の「商工技芸飛騨の便覧」の挿絵にある。絵の説明には「高山町盛乳舎」とある。  飛騨の乳牛飼育は高山町の永田吉左右衛門、森七左右衛門の二人が1882年に創業した盛乳舎に始まる。後の飛騨酪農農業協同組合である。この当時の牛乳の需要は、主に乳幼児や病人の栄養のためのもので、一般の健康者が飲むというより、いわいる薬という考えが強かった。 生産の主体が一般農家に広まっていくのは、昭和初期になってからである。  「昭和4年2月中旬霜の降る日、三福寺の渡辺藤蔵宅において隅々集まった坂本徳治郎・坪内吉左右衛門・都竹与七郎の4名は牛乳の生産と販売を一手に行い、現金収入の路を開いて農家経営の柱にしてはどうかという段階までに進んだ」と飛騨酪農史は記している。 しかし、時代は不況の中で暗い戦争へと進むころであり、酪農経営が安定するには条件は整っていなかった。特に敗戦直後の飼料不足は深刻であった。その中で「病人・乳幼児で牛乳に頼っている人々が相当あり今牛乳の供給を断ったらこれからの人達はどうなるのか。これは人道上の問題である」という声に、消費者代表を交えた話し合いがもたれた。そして、消費者は入手できる限りの麦・米糠などを提供するという協力体制のもと搾乳を続けたという歴史がある。まさに地域とともに歩む酪農の姿を象徴する出来事である。  都会からきた観光客は飛騨の牛乳の美味しさに驚く。そこには地域と密着しながら歩んできた歴史に裏打ちされた飛騨の酪農の可能性が隠されているような気がする。

岐阜新聞社出版局 ひだびとのあしあと より

沿革

明治15年
永田吉左右衛門・森七左右衛門2名が高山町盛乳舎を創業
昭和4年5月1日
三福寺牛乳販売購買利用組合設立
組合員23名
昭和11年
斐太中央ミルクプラントを設立
三福寺牛乳販売購買利用組合・飛騨牛乳株式会社・山田滋養舎 三社の合名会社
昭和12年5月
高山市神田町にミルクプラントを建設・完成
昭和20年3月
飛騨牛乳販売購買利用組合を設立
昭和24年4月
農協法制定(S.21年12月施行)により飛騨酪農農業協同組合を設立
昭和35年10月
瞬間殺菌処理施設・自動洗瓶機・自動瓶詰機完備
昭和38年4月
学校給食法による給食用牛乳供給事業開始(S.33年11月市内小学校開始)
昭和40年3月
新工場移転建設・完成 (高山市岡本町4丁目)
昭和45年9月
生乳脂肪取引開始
昭和48年12月
ブロックパック充填機導入
昭和49年4月
酪農ヘルパー組合設立
昭和50年2月
乳用牛群検定事業実施
昭和54年9月
中京方面販売開始
昭和54年10月
北陸方面販売開始
平成8年6月
神岡酪農農業協同組合と合併
平成10年10月
益田酪農農業協同組合と合併
平成11年10月
HACCP認証を取得
平成16年1月
下呂工場閉鎖
平成18年12月
地域団体商標「飛騨牛乳」を商標登録
平成19年1月
関西営業所設立
平成19年5月
新工場建設着手
平成21年4月
新工場竣工・稼動
平成23年2月
HACCP認証を取得
平成23年6月
関東営業所設立
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